あたりまえを見直す

最近あるきっかけで発展途上国でビジネスをしている山口絵理子さんと佐藤芳之さんの本を読んだ。

 

 

 

山口さんは「途上国の可能性を開花させたい」という信念のもと、バングラデシュの原料と現地の人による独自のブランドバッグを製造しビジネスを行っている。

 

 

 

 

佐藤さんは「アフリカの人を救う」という思いで、50年間にわたりアフリカでナッツ製造からバクテリアを使った衛生トイレまで様々なビジネスを行っている。

 

 

 

 

この2人の本を読んで一番感じたのは国ってのはそこに住む人々の”あたりまえ”でできているということ。

 

 

 

例えばアジア最貧国のバングラデシュでは政府による抑圧、市民の暴動、横行する犯罪、町を飲み込む洪水すべてが日常の一部になっている。

 

 

 

しかし日本人からすると劣悪に感じるその環境も現地の人にすれば”あたりまえ”で、その状況を改善していこうという向上心を持った人はほとんどいないという。逆に言うとそういう人たちのあきらめた心が貧しい国を作ってしまう。

 

 

 

使命感の強い山口さんはそれを「もったいない」と感じたわけだ。彼女がバングラデシュで出会った人の中には、とても勉強家で国一番の大学を出ながらも就職をあきらめリキシャという人力車引きになる青年もいた。

 

 

 

もしバングラデシュの人たちが本気で国を変えようと行動しだせば努力が報われる国を作ることができるだろうに、”あたりまえ”の現実に飲み込まれてしまっている。

 

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ただおれはこれはなにもバングラデシュや他”の発展途上国だけの話ではないと思うんよね。日本でも何か違和感を感じてても”あたりまえ”という流れに飲み込まれて、行動を起こせないことだらけだと思う。いや、もしかしたら違和感すら感じないかもしれない。

 

 

 

学校の決まり、会社の決まり、人間関係の決まり。

おれらが当たり前だと思ってることは他の国から見たらちゃんちゃらおかしいこともある。だから身の回りの当たり前にぼ~っと流されないで、自分の世界の大きさをひろげて、オリジナルな軸・価値観を作らないともったいないと思う。

 

 

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もう一つこれらの本を読んでて思ったのは、やっぱり日本の当たり前はとてつもなくありがたいものだな~ということ。

 

 

 

「感謝」が大切ってよく言われるけど俺が思う感謝ってのは、おれらが当たり前だと思っている日本の環境が実は世界から見たらとても有難いーなかなかないースペシャルなものだと気づく作業のことだと思う。

 

 

目の前の一個一個のすごさを発見する。

夜丸腰で町中を散歩できるってどれだけ平和なんすか。

腹減ったらお金を払えば何でも好きなもんが食えるってどんなシステムやねん。

雨の日も風の日も凍えずにふかふかの布団でぐっすり寝れるってどれだけ整えられてるんや。

 

 

 

日本てほんと天国だな~。

ありがたやありがたや。

 

 

 

 

当たり前を疑い、当たり前の有難さを知るべし。

 

 

 

ということで最近感じたことでした。

 

 

 

おわり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

My Step

みなさんこんにちは。

最近ようやく修論が軌道に乗ってきて心が軽いっす。

なんとか気持ちよく卒業できるように、この1・2か月死に物狂いで頑張りたいものですな。

 

 

 

 

 

ところで昨日はおれの今後の使命について書いたんだけど、かなり簡潔にまとめたからもう少し情報を付け足していこうかなと思う。

 

 

 

まず昨日の話だけみると、

 

 

「なにおまえ、音楽家になるの?」

 

 

 

と読んだ人は思うよねきっと。

 

 

 

 

それは半分正解で半分不正解ですな。

 

 

 

おれは別に音楽家とかミュージシャンという職業になりたいわけじゃなくて、音楽というツールに力を注いで、音楽を使って価値を生み出していきたいと思っているのだ。

 

 

 

 

あくまで目指しているのは”おれ”そのものが、「魅力的で価値のある何か」をみんなに提供できる存在になること。その一つの大きな軸、武器として音楽を採用したという風に考えてもらえばいいと思う。

 

 

 

 

 

だから実際には音楽以外にもいろいろ取り組んでいくのだ。前回の記事で60個の興味あることを書き出したって書いたけど、音楽以外にも時間をかけて極めていきたいものが何個もあった。その中で時間をかける優先順位の上位に、

 

・英語

・旅

・料理

・哲学

 

がランクインしている。これらは音楽と並行して今後も力を注いでいくことに決めている。イメージとしてはこれらを極めて掛け算のように組み合わせていくことでおれだけのオリジナルな価値を作っていこうとしてるのだ。

 

 

 

 

現時点では音楽が優先順位1位で「使命」と名付けてるけど、今後は他のものも統合されて使命が変化していく可能性は結構ある。

 

 

 

 

使命ってのは変わってもいいのだ。ただ現時点でこれを自分の使命と自覚して、使命感を感じて努力していくことに意味があると思う。

 

 

 

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次の疑問として、

 

 

「なに、おまえ仕事やめんの?」

 

 

 

ていうのを昨日の話を見ると思われるよねきっと。

 

 

 

答えはNOっす。就職先での仕事自体も現時点ですごい興味あるし、極めていきたいと思っている。

 

 

ただ意識としては、数ある武器の中の一つを育てていくという感覚で働くと思う。とりあえず最新のテクノロジーとコンサルスキルを身に着けたいっすね。

 

 

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次に今後どんな感じで時間を配分していくかをせっかくだから紹介しよう。

 

 

12~1月は

 

修論、読書、哲学

 

に時間を注ぐ。

 

 

まず修論作成を通して物理についてもっと理解を深めたいし、6年間の集大成として納得できるものに仕上げる。研究の経験から人間として成長できることもたくさんあるだろう。

 

 

次に読書。なぜ読書かというと、読書を通して自分の知っている世界を拡大させたいから。

 

 

前回の記事で自分の興味を60個書き出したって言ったけど、結局興味あることって自分が見聞きして知っている範囲でしか出てこないんよね。そして世の中には俺がまだ知らない面白いことが山ほどあると感じてるんよ。だから様々なテーマの本を読みまくることで、自分の世界を広げていきたいと思ってる。もちろん読書だけじゃなくて実際に経験しに行ったりもするけどね。人生で一番本を読む2か月にするつもり。

 

 

 

次に哲学。哲学といってもカントとかニーチェについて勉強するわけではないっす。ここでの哲学ってのは自分の価値観を再確認する作業のこと。

 

 

おれにとっての「生きるとは?」「正しい人間関係とは?」「正義と悪とは?」について一回とことん考えて、自分なりの答えを持っておく。

 

 

 

なぜこんなことをするかというと、世の中のすべての問題ってのはこういう根本的な答えのない問いに帰着するからなのだ。正解がないからこそ自分なりの答えを持ってないと周りに流されるままふわふわと漂うような生き方しかできなくなっちゃうと思う。だからこの2か月で自分の軸を再定義しようと思ってる。

 

 

 

 

次に2~5月。

 

一応うちの会社が入社月を選べるスタイルでおれは8月に希望を出してるから、8月入社の前提で計画を立ててる。2~5月はずばり

 

・英語

・ギター

 

 

だけにすべての時間を注ごうと思ってる。自分の経験上なんでも短期集中が高いモチベーションで爆発的に成長できるから、2月まではちょびちょびやったりせずに修論が終わる(予定)2月から一点集中で取り組む。この3か月で英語はネイティブの人と哲学的な深い話し合いができるレベルに、ギターは譜面を見ればすぐに曲を弾けるレベルにするつもり。こういう特定のことにまとまった時間を使えるってのはかけがえのないチャンスやなとおもってる。

 

 

 

 

次に5月後半~6月。

 

この期間はアメリカ横断一人旅にいく。これは単純にアメリカを肌で感じたいという熱い思いがあるから。そして行く前にアメリカの歴史と地域についてとことん学ぶ。去年東南アジアに行ったとき、もっとその国について学んでから行ったら感じられることが沢山あったな~と思ったから、今回はとことん知識を蓄えたうえで自分の目でアメリカを理解してくるぜ。

 

 

 

 

 

そして7月。

 

この月は入社前の一か月ってことでITやプログラミングについて独学で修行する。6年間物理を専門で勉強してきて、もし初めの段階で全体像をなんとなくでも理解したうえで勉強してたら物理についてもっと楽しく深いところまで体得できただろなと思うのだ。だからITシステムとはなんなのか、社会でどういう役割を担っているのか、今後どんなことに活かせる可能性を持ってるのかってのを把握する1か月にしようと思う。

 

 

 

 

てことで以上が入社するまでの予定。入社後は実際に働いてみないとどんな感じに時間を使えるかわからないから、わかってから決めていくつもり。

 

 

 

 

もしこの計画すべてをしっかり実践できたら人生で一番充実した時間を過ごせるだろな。楽しみでもあり同時に目標のレベルまで全部到達させられるか不安でもあるね。

 

 

 

ただやるって決めないことには何も変わらないからおれはこの方向で進むと決断したぜ。そしてあえてこれを公言することでもう逃げられないぞと自分にプレッシャーをかけてる。(本田スタイルですな笑)

 

 

 

 

そういえば今後いろんな場面で仲間を集めて一緒に何かに取り組むことが増えると思う。そのときはここでも声掛けするから是非一緒に何かに挑戦しようぜ!

 

 

 

ということで今日はこんなところで終わりにしますか。

 

 

 

 

おわり

 

 

 

 

 

My Way

みなさん超おひさしぶりっす!

 

前回おれの今後の目標・使命について書くと宣言してから早3週間くらいたってしまいましたな笑

実は書く内容の下書き自体はかなり前に作ったんだけど、修論のほうが手を離せなくて書けずにいたのだ。

 

 

 

ということで早速だけど前回の続きをズバーッと書くぜ。

 

 

 

 

もうずばり結論からいうと、おれの今後の使命は

 

 

「音楽でみんなを幸せにする!」

 

 

ことに決めた。

 

 

なんじゃそれ!と思うだろうから解説しよう。

 

 

この使命は、

 

①音楽の技術を極めることで、聞く人をハッピーにする。(技術で人を幸せにする芸術家やアーティスト的貢献)

 

②音楽を通して成長したいと思っている仲間を集め、一緒に成長していくことでみんなの人生を豊かなものにしていく。(成長の場を作るという貢献)

 

③自分が高い目標に向かって突き進んでいる姿を見せることで、関わる人に何かしらの気づきのきっかけを与えていく。(変化のきっかけを与えるという貢献)

 

 

という3本柱でできている。

自分の音楽を極めたいという情熱とその活動を通じて人の役に立っていくという貢献の掛け算になってるのだ。

 

 

 

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では次になんでおれはこんな使命に決めたか、そもそもなんで使命を持とうと考えたかについて書こう。

 

 

 

まず出発点は俺にとって「最も幸せな状態」とはなんなのかというのを考えたことだった。今までの自分の人生を思い返してどんな瞬間に一番喜びや充実感、満足感を感じたかを明確にしていった。そこで浮かび上がってきたのが以下の2つの要素だった。

 

1、好きなことに熱中しているとき。そしてそれを上達させているとき。

 

2、誰かの役に立っているとき。

 

 

この2つが今まで自分の心から楽しんでたり充実していたとき全てに共通していたことだった。

 

1でいえば部活でサッカーをしていた時。本を読んでるとき。絵を書いてるとき。英語を勉強してるとき。サークルに打ち込んでいるとき。

 

例え最初はヘタクソでも好きという気持ちがあれば時間を忘れて取り組めたし、練習がどんなにつまらなくてきつくても上達する喜びで幸せだった。

 

2でいえば誰かが困っているときに少しでも役に立てると心の底からうれしい気持ちになるし、ひとのためということを大切に日々行動すると魂が喜んでるのを感じる。

 

 

 

ということでおれにとっての幸せを考えたときに、

 

「情熱を持てる大好きなことを極めていって、それを通じて誰かの役にも立っている」

 

 

っていう状態にならなきゃという結論に至った。そしてそのためには情熱を注ぐ”何か”を見つけることが必要不可欠だと気づいたんよね。ちなみにこの何かを通じて世の中の役に立つことをおれは「使命」と定義した。

 

 

ということで自分の幸せが何かを考えた結果、「使命」をもつ必要があるっていう結論にたどり着いたのだ。

 

 

 

 

 

 

 

では次になぜ音楽を自分の「使命」にしたかということを書こう。

 

 

これは以前別の記事で何回か書いたけど、俺が大学3年で就活をしているときおれはある一つの問題にぶち当たった。それは

 

 

「やりたいことがない、興味をもてる仕事がない」

 

 

ということだった。おれはやりたいことがない人生なんて嫌だ、もっと自分の意志で好きなものを作ってかなくちゃだめだと思って、それ以来約3年をかけて自分のいろんなことに対する興味の炎を大きくしてきたわけだ。

 

 

しかしいざ修士2年になりもう一度就活をするとなった時に、結局は就職活動という枠の中の与えられた選択肢からマシなやつを選んだだけだった。

 

 

来年からおれは職業でいえばシステムコンサルタントになるわけで、そういうITとかコンサルに興味はある。会社の自由なスタイルも結構気に入ってる。しかし友達に、

 

「そうか、川島はシステムコンサルタントになりたかったんだ」

 

 

と言われたときにちゃんとYESと答えられない自分がいたのだ。

「おれが本当に情熱を注ぎたいことはこれなのか?」と自分に問いかけたときにNOという答えが返ってきた。

 

ということで、もう一回おれは何が好きなのか、何に憧れているのか、心の底から情熱を注ぎたいと思うものは何なのか、心からこうなりたいという自分はどんな姿なのかを1から考え直した。

 

 

約60個の興味あることを書き出して、それを統合し整理し優先順位を付けた結果

 

「おれ、音楽に情熱をぶつけてみたい!」

 

 

という思いが形になったのだ。そしてふと思い出すとおれが幼稚園の頃、園長先生がギターを持って伴奏してくれてみんなで大声で歌ってた時最高に楽しかったな~という原体験・出発地点がよみがえってきた。

 

 

せっかく残りの人生、何かに情熱をかけるなら好きな音楽にぶつけてやろうと決めた!こういうわけで俺は音楽を自分の「使命」にしたのだ。

 

 

 

 

ちなみにここでの重要なポイントは使命を見つけたのではなく”決めた”というところなのだ。おれはずっとおれにぴったりの仕事とかやりたいことが方程式を解くかのように自然と導き出されると思っていた。けど3年間それを探し続けた結果、そんな答えはどこにも見つからなかったんよね。そして気づいた。人生のそういうでかい一歩ってやつは、選択肢そのものを自分で作り出して、それが正しいかはわからんけど失敗覚悟でその選択肢に飛び乗ることでしか進められないんよね。

 

”決断”ってのは既存の選択肢から何かを選ぶことじゃなくて、自分で無から作り出した選択肢にリスクを恐がらず全力でぶっこむことなんだろな。

そういう意味でおれは今回人生で初めて決断をした気がする笑

 

 

 

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ということでおれがなぜ使命を持とうと思ったか、そしてなぜ音楽を使命にしたのかを書いてみた。

 

 

 

ここまででだいぶ長くなってしまったので、最後にじゃあ今後おれはどうしていくのかについて書こう。

 

 

 

まず音楽に情熱を注ぐってことなんだけど具体的にどうするかっていうと、今一番ワクワクするギターを極めることに当分の間は全力を注ぐ。とりあえずこの1.2年で

 

https://www.youtube.com/watch?v=W7765mlJEW8

 

このレベルを目指すぜ。

 

そして最終的には上原ひろみみたいに(この人はピアノだけど)誰かとセッションしたり、即興でその場にいる人たちが楽しくなるような技術を身に着けたいね。

 

https://www.youtube.com/watch?v=KadnVRvO4cM

 

このレベルに行くには10年以上かかる気がする。

 

ライブもしたいし、音楽仲間と一緒に美しい作品も作ってみたい。

音楽やりたいけど楽器できないって人に、教えることもやってきたいね。

ギターがかなりうまくなったらピアノ・ベースもやってみたい。

海外の人たちと音楽で会話しまくりたい。

 

 

やりたいことあげたらキリがないっすな。

 

 

 

ちなみにおれは今ギター全然弾けないっす!笑

 

 

このゼロの状態からコツコツ成長して、人を感動させるレベルまで登ってくぜ。

これは趣味じゃないよ。人生の挑戦。

 

道中を楽しむぜ。

とりあえず今日はおれの「使命」について紹介したぜ。

 

 

 

 

 

おわり

 

 

 

 

 

 

 

現状について

みなさんお久しぶりです!

長らくお待たせしましたな、約2週間ぶりの更新。

 

 

 

 

なぜこんなに間が空いたかというと、自分の今後について考えに考え抜いていたために、書くことがまとまらなかったからなのだ。(あと修論もだいぶ忙しかった)

 

 

 

 

そして苦労した甲斐あって現在もうちょっとで今後の人生の設計図ができるというところまで来ている気がしているのだ。(まだあいまいなんかい笑)

とはいえ既に大きなブレイクスルーはできて、あとはそれをまとめていく作業って感じかな。(そうだと信じたい)

 

 

 

それで初めはちゃんと考えがまとまってからブログに書こうと思っていたんだけど、ふとこのブログのテーマを思い出したわけだ。

 

 

 

そう、、このブログのテーマは、

 

 

 

 

「悩み苦しんでいる姿をさらすことなり!!」

 

 

 

 

ということで現在の考えをまとめることに苦労してひーひー言っている過程をせっかくだから実況していこうと思ったわけなのです。

 

 

 

 

 

もし皆さんが今までの俺のブログを読んでいたなら、おれが目標の立て方とか情熱の見つけ方とかを書いておきながら、当の自分の目標や情熱の対象が結構あいまい(抽象的)だったことに気が付いているだろう。

 

 

 

 

 

 

そう、実は俺自身「こんな感じで目標(使命)とかを設定するべきだな~」という感覚は持っていながらも、それを具体的なものに落とし込むことにできずにとても困っていたのだ。

 

 

 

 

そして今回この課題に正面から向き合う時が来たと感じたから、約2週間くらいかけてひたすらこの課題に様々な角度からの攻略を試みてきたのでした。(優に2年間以上この準備に時間を費やしてきたはず)

 

 

 

 

ということでこれからのブログではおれが現在どういう手順で自分の目標とか人生の設計図を作り上げているのかを書いていこうと思う。(ここが辛いよという苦労話が満載になるだろう)

 

 

 

 

そして最終的には、「これが俺の今後の目標・使命じゃ~!」っていうものを提示できたらいいなと思っている。なかなか面白い内容になるんじゃないかなとワクワクしてるぜ。

 

 

 

 

 

 

ということで今回はこれからの流れの告知ってことで終わりにしよう。(この話についてはかなりこんがらがった思考のプロセスをちゃんと整理しないとかけないから、今回はエネルギー切れです笑)

 

 

 

 

それではまた!

 

 

 

 

 

 

おわり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

働くとは何なのか?

久しぶりに心に響いた映画があったから紹介するぜ。

ザ・エージェント(邦題)」っていう結構古い映画。

 

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この映画では働くってのが何なのかをめっちゃ深く考えさせられるね。

 

 

 

 

なぜ人は働くのか?

お金のため、仕事後の一杯のため、何か夢をかなえるため、、

 

 

 

 

会社ってのは利益を出さないと成り立たないから、必ず理想と現実のギャップで苦しむと思うんよね。(まだ働いてないから想像だけど)

 

 

 

 

そんな中でそれで仕方ないとあきらめるか、理想に少しでも近づこうと一歩を踏み出すのかがこれからの時代を引っ張っていく人と時代にぶら下がっていく人の別れ目になる。

 

 

 

 

この映画ではトム・クルーズ演じる主人公のジェリー・マグワイアプロスポーツ選手のエージェントという職業の理想と現実のギャップに直面する。

 

 

 

 

「選手の幸せのことを一番に考えてプロチームとのベストな契約を交渉する」という理想に対して、利益を上げるために如何に多くの選手をチームに売りさばくかという選手の幸せが二の次の現実にジェリーは耐えられなくなる。そして彼は信念を貫くべく、人生を懸けた行動を起こす。

 

 

 

 

この映画の見どころは、

信念を貫こうと行動を始める時、如何に逆風が吹くかということ。今までのパラダイムを180度変えるってのはそれだけ一筋縄じゃ行かないってことなんよね。

 

本当の仲間とは何なのかということ。ただ上辺だけの付き合いはシナジーを生まない。

 

そしてすべての困難を超えた先に、最高に生きがいを感じる次のステージが待っているということ。

 

 

 

とにかく熱く生きたい人にオススメの映画っすね。

俺はアマゾンプライムでもう4回くらい見てしまったわ。

時間あるとき是非是非。

 

 

 

 

 

おわり

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それでも人は優しい

 

 

最近人の優しさに気づくことが多い。

 

 

 

以前は他人のことを俺に対して評価を下す審査員のように考えていたのかもしれない。

 

 

 

 

そう考えてしまうとなんというか常に身構えまくてはならないし、全ての行動の動機が自分をアピールすることになってしまいかねない。

 

 

 

 

これはとても息苦しいことだし、自分のことしか考えてない状態になりさがってしまうのだ。しょっぱいねぇ。

 

 

 

 

でも実際はみんな優しいのである。どんなおれでも無条件に受け入れてくれるのだ。失敗したり、失礼なことしたり、かっこ悪かったり、迷惑をかける時があっても許してくれるのだ。ひとは審査員じゃなくて仲間なのね。

 

 

 

 

 

ではなぜ以前のおれはそれに気づかなかったかというとおれの心が他人に優しくなかったからなのだ。心のどこかでおれ自身が人を審査してしまっていたのだ。

 

 

 

 

「他人は自分を映す鏡」とはよく言ったものでこっちが自分のことしか考えてないと、ほかの人も自分勝手に見えてしまうのね。本当は仲間なのに。

 

 

 

 

「あいつに嫌われてる気がする」と思ってしまうとき、実際は自分がその「あいつ」のことを好きじゃないだけなのだ。

 

 

 

 

 

逆にこっちがひとのためを思って行動するようになると、ほかの人の些細な優しさにも気付けるようになって皆のことが好きになるのだ。素晴らしい好循環が生まれる。

 

 

 

おれはこの優しさの輪をぐるぐる高速回転させて、どんどん大きくしていこうとしているのだ。なんと楽しい歩みだろうか。

 

 

 

そのためにも自分をもっと磨いて、たくさんの人の役に立てるようになりたいと思っているのだ。

 

 

 

 

おわり

 

 

 

 

タイミングを決めるのは常に本人でなければならない

今日は大きな失敗をした。

 

 

最近常に思っているのは、どうやったら少しでも人の役に立てるのかということ。

 

 

 

けどここには危険性が潜んでいる。

 

 

 

 

人の役に立ちたいと思う時には純粋に相手を思う気持ちだけがあるべきなんだけど、その裏には役に立って認められたいみたいな承認欲求が首をもたげてくるのだ。

 

 

 

前者から出てくる行動は必ず相手に何かしらのプラスのエネルギーを伝える。

 

 

 

 

けど後者からでてくる行動はどんなにうまく隠したつもりでも、何かしらのマイナスエネルギーを相手に与える。

 

 

 

 

だから誰かのために行動する時には冷静に自分を見つめることが必要だと思うのだ。

 

 

 

 

では悲しみ・困難に直面している人と出会ったときに、どうしたらいいのだろうか。

 

 

 

 

たまたま自分がその乗り越え方を思いついたとして、それを伝えたい気持ちをどうするべきだろうか。

 

 

 

おれはついお節介心で向こうが望んでいるかも確かめずに声をかけたわけだ。なにか正義という名の美酒に酔いしれていたのかもしれない。

 

 

 

一夜あけて、巧妙に隠れていた承認欲求を見つけ出して大きく反省しているのだ。

 

 

 

 

 

 

人が課題を乗り越えようとしているときは、主導権を常にその人に置いておかなくてはいけないと思うんよ。

 

 

 

こちらができるのは万全のサポート体制があるよということだけ示して、あとはただ向こうがどうするのかを待つだけ。

 

 

 

これが「信頼」と「期待」の違いであり、「祈り」と「念力」の違いなのよね。

 

 

 

「タイミングを決めるのは常に本人でなくてはならない」

 

 

大きな教訓を学びましたな。

 

 

 

 

 

おわり