俺が最近カミナリに打たれたレベルで感動した話。
みなさんこんばんは。
今日は「毎日をハッピーに過ごすには?」の後編を書こうかと思ったんだけど、前回の内容でもうちょっと書き足したいな~と思うとこがあったから今日は補足編で!
ちなみに皆さんにはどうしようもなくムカつく人が周りにいないだろうか?
いちいち嫌味を言ってくるとか、挨拶しても無視してくるとか、自分だけ仲間外れにしようとしてくるとか、、
たぶん色んな人と関わっていれば、自分のことを嫌ってるような人が1人や2人いると思う。
こういう人たちへの対処法として前回の、
自己受容(ありのままの自分を受け入れ、それに自信をもつ)と
他者信頼(他者を競争相手ではなく仲間だと信頼する)
だけじゃちょっと物足りないのでは?と疑問を持ったのだ。
どんなに自分に自信を持ってて他人を仲間だと考えられても露骨な嫌がらせとか、理不尽に罵倒されたらさすがにイラッとするし嫌な気持ちになるなよね(笑)
てことでこの困難を解消する方法として最近たまたま見つけた方法をシェアしたいと思って今日は書いていくぜい!
おれにそのヒントをくれたのは
実は以前お坊さんの修行に行ってた友達と話す機会があって、その時にこの漫画を勧められたんだよね。
この中に俺がカミナリに打たれたレベルで気づきを得たシーンがあったのでそれを紹介しよう。
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それはブッダがピッパラの樹の下で修行をしていた時の話。
ブッダの前に「ヤタラ」という奴隷の大男が現れ、ブッダに対してこの世の理不尽さへの怒りをぶつけるシーンである。(メッセージ・フロム・ブッダ - エピソード)
話を聞けばこの大男(ヤタラ)は、幼少期に実の両親を「奴隷のくせに生意気だ」という理由だけで上流階級の人に殺されたのだという。
その後ヤタラは悲しみを背負いながらも、「ルリ王子」という奴隷の母親を持つ王子にその強さを気に入られ傭兵として働くことになった。
そしてヤタラは王宮内の奴隷小屋で働いていたルリ王子の実の母親と仲良くなる。(この母親はある事情で奴隷という身分を隠して王様と結婚させられ、ルリ王子を産んだ。しかし出産後に奴隷の身分がばれてしまったため、奴隷小屋で働かされていた。)
ヤタラはこのルリ王子の母親を第二の母親のように慕うようになったのだ。
しかしこの奴隷小屋で疫病が発生し、ルリ王子は疫病の伝染を防ぐために自分の母親共々この小屋を焼き払うよう命令する。
奴隷小屋が燃えているのを見て、ヤタラは急いで母親を助けに行きなんとか小屋から救出する。しかし、すでに衰弱していた母親はその日のうちに死んでしまうのだ。
ヤタラは実の両親も殺され、第二の母親もその実の息子であるルリ王子に殺されてしまったわけです。
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そしてここからのブッダとヤタラの対話が今日の核なのだ。
ヤタラはブッダに対して世の中への怒りをぶつける。
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ヤタラが「この世で自分ほど不幸な人間はいない」とブッダに訴えると
ブッダは「死んでいったお前の両親や第二の母親、奴隷小屋の人たちのほうが不幸ではないのか?」と答える。
さらにヤタラは「それなら実の母親を殺したルリ王子はこの世で一番ひどい男だ、許せない!」とブッダに怒りをぶつけると
ブッダは「お前はルリ王子の気持ちを考えたことがあるか?王子でありながら奴隷から生まれたということで彼がどれほど苦しんだだろうか?国を疫病から守るため実の母を殺すよう命令したとき、彼がどれほど苦しんだだろうと考えてみたか?」と問い返す。
これを聞きヤタラは膝から崩れ落ちるのであった。
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この一連のやり取りになんと真理が詰め込まれていることだろうか!(読みながらカミナリが走ったね~笑)
つまり、
「自分が誰かから傷つけられたと感じているとき、一度その相手の気持ちを考えてみてごらん。自分以上に相手のほうが傷ついているかもしれないぞ!」
ってことなんだよね。
例えば、誰かがあなたに対して無視を決め込んでるとしたらその人はあなたに会うたびにどんな気持ちになるだろうか?
たぶん罪悪感とそれでもあなたと話したくないという葛藤でめっちゃ苦しいはず。あなたが無視されて嫌だな~と感じてる数十倍つらい思いしてるよね。
毎回嫌味を言って来る人はどうだろうか?
たぶんあなたに対する劣等感とか嫉妬、嫌味言うのを抑えられない罪悪感でこっちの数十倍苦しいだろう。
この他にも約束の時間に遅れてくる友達とかはどうだろうか?
たぶんあなたに対する申し訳なさとか、自分に対する自己嫌悪でこっちのイライラしてるマイナスの何倍ものダメージを感じてるでしょうよ。
という感じで、、、、この、
「自分が傷つけられている時こそ、一度相手のことを考えてみる」
ということをすると怒りとか嫌な気持ちよりも相手に対するいたわりの気持ち(慈悲の心)が持てるのではないだろうか?というのが今日の最も言いたかったことでした。
ということで意地悪な人や理不尽な人に対しての対処法としてこのブッダ流の考え方をぜひ試してみてほしい。
おわり
毎日をハッピーに過ごすにはどうしたらいいか?(前編)
久しぶりの更新!
昨日まで屋久島に行ってたよ。ちょうど台風16号が直撃だったんだけど、キングオブ晴れ男なので4日間外にいるときはほとんど晴れてた!これも日ごろの行いの賜物ですね(笑)
ここ1週間くらい書いてなかったから書きたいこと溜まりまくってるんだけど、丁度この記事にコメント貰ったから、それ関連で書いてみるで!
ずばり今日のテーマは
「毎日をハッピーに過ごすにはどうしたらいいか?」
だな。めっちゃアバウトw
アプローチを大まかに考えると、やることはたった2つだけな気がする。
それは、
①できるだけマイナスのことをなくす。
②できるだけプラスのことを増やす。
単純すね。
で今日はこの①のマイナスをなくすにフォーカスするぞい。
①のマイナス要因っていろいろあるよね。例えば
・運動不足
・食生活の乱れ
・睡眠不足
とか。これらは肉体的なマイナスかな。健康がすぐれないとやっぱり気分も落ち込むから、適度な運動する・栄養バランスを考える・睡眠時間を確保するっていうのは最低限やったほうがいいと思うな。でも誰でも気にすれば限りなくこれらのマイナスを無くせるから比較的深刻じゃないマイナス要因だね。
次のマイナス要因は心理的なマイナス!分類すると
1、自己要因の傷心(自分が罪悪感を感じる行動をしたときなど)
2、外部要因の傷心(人に意地悪されたとき、理不尽なことを言われた時など)
って感じにわかれるかな。
そしてこの1の自己要因の傷心は、以前書いた罪悪感を感じる行動をしないっていうのでかなり対処できるはず。
問題は2の外部要因の心のダメージね。これが今日の主題になりそうですな!
やっぱり世の中いろんな人がいるから、たまには嫌な奴がいるもんだよな。
たとえば
・常に力関係で人より上に立とうとする人(人を見下す、人の成功を阻止する)
・相手が傷つくことをあえて言う人
・いつも自慢ばかりしてる人
・理不尽に怒る人
などなど。こういう人が周りにいると気持ち的にめっちゃマイナスになる。
他にも相手が嫌な人でなくても自分の中に勝手に嫉妬の感情が芽生えて相手を嫌いになったり、ひどく劣等感を持ってしまうことがある。
たとえば
・成績・年収・肩書・役職などが自分より高い人に対して。
・自分よりも仕事ができる人に対して。
・自分より人気者の人に対して。
こういうある分野で自分より優れている人に対しては、嫉妬とか劣等感を感じてとてもマイナスの気分になってしまうことあるよな。
どうしたらこれらのマイナスをなくせるかね?
嫌な人をいい人に変えるようがんばるとか、劣等感を感じないくらい自分がすごくなるとか、、、
んーなかなか難しいね。
さんざん考えた結果、すごい参考になりそうな本の存在を思い出した。
それは「嫌われる勇気」という本。
2013年出版でアドラー心理学について現代風にまとめた本なんだけど、如何に人間関係の悩みを無くすかについて論理的にわかり易く書いてある。
是非人間関係の悩みで苦しんでる人は実際に読んでもらいたいんだけど、この本の中に上のマイナスを解決する2つのキーワードがあった。それが、
・自己受容
・他者信頼
の二つ。これらの意味は簡単に要約すると
自己受容=ありのままの自分を受け入れる。
他者信頼=全ての人を敵ではなく仲間だと信じる。人との関わりを縦の関係ではなく横の関係にする。
という感じになると思う。
なぜこの二つをすると上の外部要因のマイナスが無くせるのかというと、嫌な人・自分より上の人に対するマイナスの気持ちは全て
「今の自分に自信を持てていないこと」
「相手より下にいる自分を許せないこと」
が原因になってるからなんだよね。
つまりもし今の自分(容姿、性格、ステータス、行動指針)をありのままに受け入れて自信を持っていれば、他人に自分をバカにされたり高慢な態度をとられても気にならなくなるよね。本田圭佑がおれにバカにされてムカつくはずがないでしょ。
そしてもし他人との関わりを、どっちが優れているかという上下関係じゃなく、全員がみんな違って素晴らしいという横の関係でとらえることができれば人に嫉妬したり劣等感を持ったりすることはなくなるということ。感覚としては世界中の人を家族のように思えたら、素直に応援できるし助け合えるでしょって感じかな。(家族関係によってはこの例えは的確じゃないかも)
自分のことで例を挙げてみると、
例えば俺は以前は学歴とかを気にしていて、自分より高学歴の人に対してはどこか引け目とか嫉妬を感じていたけど、今はこの千葉大で自分が経験したこと・学んできたことがかけがえのない物だったと確信してるから全く気にならないんだよね。そしてどの大学出身の人に対しても、それぞれがそこで俺とは違うことを経験して学んできたんだろうなと思って純粋に尊敬するし興味が湧いてくる。
そうすると最早そこに敵はいないし、劣等感や嫉妬もない。そこにはいろんなバックグラウンドを持った人たちがいて、みんなが一緒に頑張っている仲間のような感覚になる。
もちろん常にこんな聖人のような境地で過ごせてるわけじゃないけど、以前に比べればこういう考え方をいろんな場面でできるようになってきたかな。(70%くらい)
そうすると苦手な人がめっきりいなくなったよね。以前は嫉妬とか劣等感を感じたり、バカにされたくない、いじられたくないとか思って避けていた人ともばんばん会えるようになった。正直今対人関係の悩みはほとんどなくなってしまったのだ。(ここまで本当に長い道のりだった、、、、笑)
これは俺のほんの一例なんだけど、考え方さえ変えれば「他人が原因の悩み」もかなりなくなるっていうのが伝われば嬉しいっすね。こういうことで悩んでいる人は「嫌われる勇気」にかなりわかり易く書いてあるから是非読んでみてほしいわ。
ということでかなり長くなってしまったので今日書いたことをまとめると、
「毎日をハッピーにするにはどうしたらいいか?」という問いからスタートして、「①できるだけマイナスのことをなくす」「②できるだけプラスのことを増やす」のが大切と考えた。そのあと①の方法について深く掘り下げていった。
①のマイナスの要因には大きく分けて「肉体的なマイナス」と「精神的なマイナス」があると分析して、肉体的なマイナスを取り除くには健康的な生活をするのが大事ってことを書いた。
そして「精神的なマイナス」には罪悪感などの「自分が原因のもの」と、嫌がらせを受けるとか嫉妬心などの「他人が原因のもの」があった。
罪悪感は自分が誠実な行動を心がけることで解決できる。そして他人が原因のマイナスは、「自己受容」と「他者信頼」を心がけることで解決できるということで結論付けましたな。
ふ~、まとめ自体もだいぶ長いな(笑)。書く前はもっとコンパクトにまとまるかと思ったけど色んなこと書きたくなって読みにくくなっちゃったな。文章構成力をもっとつけられるように修行しますわ。
長かった分、「ツッコミどころ」とか「ここ矛盾してね?」みたいな箇所がいくつもあると思うからそれは教えてくれると嬉しいっす。
ではでは。
おわり
やる気スイッチここにあったのね
前回、人生の大きな目標に向かって進むためにどうやってモチベーションを作っていくかについて触りだけ書きましたね。
それは
①過去の経験(挫折体験、成功体験など)
②他人に影響を与えている意識(使命感、貢献感)
が頑張る理由になって気持ちを支えてくれるというもの。
これについては次回くらいに具体例を入れてもっと詳細を分析していこうと思うんだけど、、、
今日は人生の目標とかじゃない目の前の小さなタスクに取り組む際に、どうやってモチベーションを保つかを書いてみる。なぜこれを書くかというと、ちょうど最近自分が大学院の研究のモチベーションをうまく保てず苦しんでいたからなのだ。そして今日解決の糸口を見つけたのだ!!
結論から書くと、モチベーションを保つのに一番重要なのはずばり、
「頑張る理由!」
なのだ。これは人生の目標に対しても共通することだけど、俺たち人間は確固たる理由(自分が心から納得できる)がないと頑張れない生き物だと思うんです。
つまり俺で言えば、①何のために研究を頑張るのか?②何のためにこの文献を読むのか?③何のために今この方程式を変形するのか?
について理由を持ってないといけないのだ。
ここでのポイントは、
取り組む理由(運動エネルギー)>やりたくない気持ち(ポテンシャル障壁)
になるように理由を設定すること!(物理っぽく書いてみたw)
つまり納得度・必然性の低い理由しか見つけられないと、やりたくないという心の壁を乗り越えることができず頑張れないまま終わってしまう。
さっきの俺の場合だと
①5年間物理の勉強をしてきたから、物理学を自分の頭で咀嚼して整理しなおし、それを研究成果という形に残したい。②研究をより能動的に進めるために理論を深く理解したい。③相対論の枠組みでもこの方程式が使えるようにするため。
みたいな感じ。なんとかこの①~③の理由でやりたくないという怠惰な気持ちに打ち勝つことができた(笑)
これはあらゆること・あらゆる人にも言えると思う。
たとえば会社で働いてる人なら、
なぜ自分はこの仕事をしているのか?なぜこの資格を取得するのか?なぜこの資料をまとめなきゃいけないのか?
の明確な理由を見つけてあげないと頑張れなくて辛い日々になるよね。
ダイエットをしてる人なら、
なぜ自分はダイエットをするのか?なぜこの運動をするのか?なぜこれだけ食事を制限するのか?
これらの理由がわからないと続かないはず。
英語の勉強をしている人なら、
なぜそもそも自分は今英語を勉強しているのか?なぜこの文法のテキストをやるのか?なぜTOEICを受けなきゃいけないのか?
これらについて自分が納得できる理由を見つけてあげないと頑張れないし、なかなか上達しないと思う。
そしてこれを逆に言うと、常にやる必要のある課題を自分に課し続けることがすごく大切ってこと。
自分を物事の全体像を見渡せるひとつ高い視座に置いて(これはかなり訓練が必要)、目標にたどり着くために何が必要かを自分自身にナビゲートする感覚かな。本田圭佑がすごいのは全体像を見て、適切な計画を立てるのがめちゃめちゃうまいってこと。岡田監督が本田は視点が他の選手と違うって言ってたわ。
そういえば今思い返すと、去年英語の学習をしていた時に一番苦労したのが勉強の計画を立てることだった。自分の現在地がどこで目標にたどり着くためにはどんなインプット・アウトプットが必要かを何回も試行錯誤して計画を立ててた。手探りだったから本当に悩んだしきつかったけど、自分で納得のいく計画さえたてばすごい頑張れたんだよね。
ということで今日の話をまとめると、
「目の前のタスクにやる気が出ないときは、自分が納得できる頑張る理由を見つけろ!」
ってことかな。
そして逆に、「やる理由が見つからないことはやらない。必要なことだけ自分に課していきましょう。」
て感じでしょうか。
明日も研究がんばるでー。
おわり
どうやったらそんなに頑張れるんですかい?
前々回、理想の生き方と夢について書いたけど、改めて考えると本質の一側面しかとらえてない気がしてきた。
まず一つ目に疑問に思ったのが、
「理想の自分像を設定した後、みんながみんな本田やルフィみたいに目標にコミットできなくね?」
ということ。
つまりこうなりたいっていう憧れだけじゃそんなに強い原動力にならないと思ってきたんよね。
むしろ本田やルフィみたいなやる気とか情熱がわかなくて悩んでるねん!っていう人も多いはず。
じゃあ何が彼らみたいな強い原動力を生み出すのか考えたら二つのものがある気がしてきた。
①過去の経験(成功体験、挫折体験、悩み苦しんだ経験、喜びを感じた経験)
②他人に影響を与えている意識(貢献感、使命感)
この二つが大きなモチベーションになると予想してるのだ!
本田で言えば
①は小さいころ兄に憧れサッカーに熱中した経験、ジュニアユースでの落ちこぼれた経験、選手権での活躍した経験、オランダでの挫折と復活の経験などなど。
②は家族のため、あまり才能に恵まれていないけど夢を目指す少年たちに勇気を与えるため、日本全体にエネルギーを与えるためなどなど。
過去の経験からサッカーをやり続ける確固たる理由が導き出されて、かかわる人々に対する使命感とか貢献感がそのやる気を持続させているんじゃないかね。
だから自分の進む道を決めるときは、やはり過去を振り返る作業が必要なはず。そして自分のやることがどういう人たちの役に立っているかをちゃんと考える作業も必要な気がしますな。
このことに関してまた近いうちに掘り下げて書いてみよう。
あと最近、本田とかルフィみたいな超人じゃない一般人の例で分析しないとわかりづらいというアドバイス貰ったからそういう目線で考えてみるか。
おわり
罪悪感が一番毒じゃね?
ちょうど3か月前くらいまだ就活をしていたころ、朝から何個か説明会に行って東京から西千葉に戻るために俺はいつものように総武線快速に乗っていた。
運がいいことに2駅目くらいでちょうどおれの目の前の席が空いた。死ぬほど疲れてたから神様ありがとう!と思いながら座って爆睡しようとしてると60歳くらいのおばあちゃんが電車に乗ってきて俺の前に立った。なんというタイミング!
俺は心の中で、
「おばあちゃん、今日だけは席ゆずるの勘弁っす!朝から一日説明会回ってておれにはもう立つ力は残ってないんだ、、、。てかおばあちゃんゆーてまだ若い部類のおばあちゃんだよ。もっと腰曲がってる弱ってるおばあちゃんならさすがにゆずるけど、逆に失礼になるパターンだよこれ、、。」
みたいな言い訳で自分を説得してもう一度寝る態勢に入ろうとした。しかし罪悪感と心の葛藤でビンビンに目がさえてしまい寝れないまま稲毛についてしまった。しかも電車に乗ってる間はもちろん、家についてからも嫌な気持ちが続いたままだった。なんというか魂が汚れた感覚。
それから何日か後に同じような状況が発生した。その時もめっちゃ疲れてたけど、前回の教訓を生かして速攻席をゆずった。そしたらめっちゃ心が軽い!!疲れてたけど、断然健康的に感じた。大げさだけど、魂が綺麗なまま保たれた感じ。
このことからおれは一つの人生方針を決めた!!!!
それは、
「罪悪感を起こさせる行動は絶対しない」
というもの。もっというと、魂を綺麗に保つことを常に第一優先するってこと。
魂の安定>>>>>>その場の損得、感情
例えば、
・駐輪場にチャリをちゃんととめる
・席をゆずる
・人の悪口を言わない
・いじわるをしない
・独占しようとしない
などなど。
小学生か!!!!笑
でも全部当たり前のことだけどついつい気が緩んだ時に無意識にやっちゃうときがあったんよね。
そしてこの方針を実行するときにポイントがある。
それは見返りを求めてやるんじゃなくて、自分の魂のためにやるってとこ。常に魂目線!!!笑
これを意識してから、罪悪感を感じることが全くなくなって毎日ハッピーなのだ。
魂健康法ぜひみんなにも試してほしいぜ
おわり
ルフィのゴールは海賊王じゃない!
前回の投稿で「夢を持った方が幸せか?」について保留にしてたんだけど、頭を整理したら結論が出たでござる!
その結論とは、
「幸せな生き方をしている人は、すでに夢を持っている!」
というもの。これだけじゃ何を言っているのか分からないと思うから、詳しく書いてみると、、
まずおれにとっての「幸せな生き方」の定義は、「自分の意志で自分が望むように生きること」。
前々回くらいに書いたけど、他人の評価とか期待に従って物事を選択するのは絶対に幸せじゃないと思うんよ。自分の意志で自分の生き方を決めて、理想の自分に近づいていくのが幸せな生き方だと思ってる。
じゃあ理想の自分を思い描いて、自分の意志で生き方を決めるとはどういうことか例を使って説明してみるぞい。そして生き方を決めるとどんな感じで夢が自動的に決まるかも解き明かしていみる。
例えば、
[本田圭佑の場合]
俺が今まで見てきたところ、彼が理想としている生き方はおそらくこんな感じの要素でできてると思う。
・無理だとまわりの人が言うことを、努力すればできると証明していくこと。
・自分が達成していく過程を見せることで、人々に勇気を与えること。
・常に自分らしくあること。他人の意見に流されない。
・常に堂々としていて、カッコいい男であること。
・多くの人々にいい影響を与えること。
・リーダーとして周りを引っ張っていくこと。
・・・・・などなど、
言語化すると数え切れないほどの要素で理想の生き方(理想の自分像)が構成されているはず。
これから分かるように、理想の自分像ってのはものすごく抽象的なんよ!ただこれらの要素を足し合わせると、だいたいの方向性は定まるわけ。そしてその理想の自分の方向の途中地点に、具体的な目標が勝手にでてくる。
本田なら、例えば「高校サッカーで優勝すること」「日本代表になること」「バロンドールをとること」「ワールドカップで優勝すること」「日本サッカーのために子供の教育をすること」などなど。
この
”途中地点の具体的な目標=夢”
だと思う。つまり抽象的なゴールを目指すための途中の目印みたいなイメージ。
だから目印がなくても理想のゴールの方向に迷わず進める人は夢が必要ないと思うけど、大体の人にとっては中間目標があった方が頑張れるから自動的に夢を設定するんよ。
図にするとこんな感じかな。
今の自分→→→要素1をゲットする中間目標→要素2と3をゲットする中間目標→→→・・・・→→→→→→理想の自分(要素1~∞をすべて兼ね備えている)
つまりゴールには絶対たどり着けないけど、ちょっとでも近づくために進んでいくのが、俺が思う幸せな生き方!途中地点が夢!!
せっかくだから他の人の場合でも考えてみよう。
[ルフィ(ワンピース)の場合]
ルフィはみんなも知っての通り「海賊王」を目指しているけどこれはあくまで理想像の中間地点に過ぎないんよ。ルフィが本当に目指している理想の自分像はたぶんこんな感じの要素でできてる。
・誰にも自分の道を左右されないこの世で最も自由な男。
・シャンクスのような小さなことじゃ絶対怒ったりしない器のでかい男。
・大切な仲間を守れる強い男。
・困ってる人を助けられる男。
・おもしろい仲間に囲まれている男。
・まだ見ぬロマンを追いかける男。
・・・・などなど。
これまたルフィのゴールもかなり抽象的。だけど方向性はがっちり決まるはず。ルフィにとっての中間地点(夢)はこんな感じかな。
今のルフィ→→→→シャンクスのような男→→→→ロジャーのような男(海賊王)→→→→→→→→→→→→→→→→理想の自分
つまりまとめると、
「自分の意志で理想の自分像(ゴール)を設定して進んでいく生き方が幸せであり、その中間地点が夢である」→「ゴールが決まれば勝手に夢も決まる!」
て感じかな。
だから具体的な目標とか夢が見つからなくて悩んでる人は、理想の自分像(抽象的でいい)をばーーっと書き出してどうやったらそれに近づけるかを考えればいいんじゃないかな。
まああくまで俺個人の考え方だから、誰かの小さい気づきのきっかけになればくらいに思っております。いやーなんやかんや長くなってしんどかった(笑)
おわり
本田さんは夢を持てと言うけれど、
最近、
「大きな夢を持って、それに向かって全力で生きるのがいいこと」
みたいな世の中の風潮がある気がするけどこれってどうなんかね?
確かに夢を持って努力している人はかっこいい。輝いて見える。けどその生き方をしたらみんな幸せかといったらそうでもない気がするなあ。
でかい夢であればあるほど途中の道のりは険しいし、競争する場面もあるかもしれんしなぁ
その大変なプロセス自体も楽しめないとこの生き方は幸せじゃないよな
しかも世の中の大半の人が夢を持ちたいと思う理由って、
その目標を本気で達成することを夢見てるってより、「こんなでかい夢持ってるおれかっこいいっしょ?」って言いたいからな気がする。
たぶん本田さんはもっと深い理由で夢を持った方がいいっていってるんだろうな。ふむ、今すぐには夢を持った方がいいかどうか結論だせないな、、
もうちょい考えよ。
近いうちに誰かとこの議題についてとことん話したいっすな
おわり